※「月刊手技療法」に掲載された記事を再掲載します
柔道整復師が使用できる傷病名について―「腰痛」「肩こり」の患者さんにどう対応するのか
かなや整骨院 金谷康弘(柔道整復師)
柔道整復師の業務範囲は「骨折、脱臼、打撲、捻挫、肉離れ」であると一般に言われている。
柔道整復師とは何か?ということを説明する際にも柔道整復師に関する報道でもこれらの傷病名が使われるのが常である。
筆者は十余年にわたり専門学校で「関係法規」の講義を受け持っているが、毎年最初の講義の際に「柔道整復師の業務範囲、知ってる?」ということを学生に聞くことにしている。
ほぼ毎年、全クラスで「柔道整復師の業務範囲は骨折、脱臼、打撲、捻挫、肉離れ」である、という答えが返ってくるのであるが、それは本当なのかということを考察してみたい。
まず確認なのだが柔道整復師の「業務範囲」というのは柔道整復師が適法に行いうる行為、簡単に言えば「柔道整復師がやっていいこと」を意味する。
各種通達を見てみても「柔道整復師の業務の範囲を超える」とされる行為は鎮痛剤や強心剤の注射、診療の補助としての超音波検査(要は超音波検査による診断行為)など医師法にバッティングする行為、言い換えれば柔道整復師法16条(外科手術・投薬等の禁止)に抵触する行為をさしている。
昭和41年9月26日医事第108号に「医行為又は医業類似行為であるか否かはその目的又は対象の如何(具体的な部位とか傷病名)によるものではなく、その方法又は作用の如何によるものと解すべきである。」とあることからも「骨折・脱臼・打撲・捻挫・肉離れ(に対する施術)」という傷病名が柔道整復師の「業務範囲」であるという論が意味をなさないのは明白である。
もう一つ確認。
柔道整復師の「施術の対象としうる症状」と「療養費の支給対象(健康保険の使える傷病名)」とは別のものである。
これを理解できていない柔道整復師はものすごく多い。
かつて日本柔道整復接骨医学会で、柔道整復師の業務範囲についての発表を行ったのであるがオーディエンスからの質問のみならず座長までが両者を混同していて最後まで話がかみ合わず難儀したことがある。
筆者の主張するところを先に言っておけば「療養費の支給対象になるのは「急性、外傷性の骨折・脱臼・打撲・捻挫・肉離れ」だけれども柔道整復師がその他のどんな症状に対して施術を行っても法的な問題は生じない」とでもなるだろうか。
こういうことを書くと必ず出てくるのが「民主党統合医療を普及、促進する議員連盟 柔道整復小委員会(平成24年2月16日)」である。
「肩こりや腰痛などに対しても(療養費を使わずに)実費で施術を行うことは問題ないのか?」という問いに対して厚生労働省 保険医療企画調査局長より「柔道整復師の業務範囲は一般的には外傷性の骨折、捻挫、打撲、脱臼等の施術であり単なる肩こりや腰痛などは施術範囲にはない」という回答があった(らしい)。
これをもって柔道整復師はたとえ健康保険を使わなくても肩こりや腰痛に施術ができない、という根拠であるということになっている。さて、それは本当なのか。
柔道整復師は新鮮外傷しか施術できないのに国家資格を有しないカイロプラクティックや整体を業とする人たちが肩こりや腰痛などの傷病に施術をできるのは不公平だ、という意見がある。
しかしながら柔道整復師をはじめとするセラピストにはそもそも診断権がないのだから施術の対象になるのは患者の主訴、愁訴であって決して傷病ではないのである。
柔道整復師には診断権がない、というと驚く同業者が多いのにこちらが驚く。
法的に診断ができるのは医師と歯科医師だけであるから柔道整復師が診断をすることは医師法17条(無資格医業の禁止)に抵触するし当然先にあげた柔道整復師法16条にもバッティングする。
もちろん柔道整復師が日常取り扱う「骨折・脱臼・打撲・捻挫・肉離れ」についても事情は同じことである。
つまり柔道整復師には「これは捻挫である」と患者に告げることは法的に許されていない。
ところが難儀なことに「これは捻挫ではない」と患者に告げることもまた「陰性診断」といって、診断行為になってしまう。
もしこれを柔道整復師が行えばやっぱり医師法と柔道整復師法に抵触してしまうのである。
結局のところ柔道整復師だけではなく厚生労働省の免許を持ったセラピストも民間のセラピストも診断権を持たない点については同じでありいかなる傷病名を使うことも本来許されてはいない。
だから民間セラピストが「肩こり」や「腰痛」場合によっては「椎間板ヘルニア」に対して施術しているというその傷病名は(臨床的に正しいとしても)法的には「自分で勝手に言ってるだけ」であり本来は医師法に抵触する行為である。
たとえば柔道整復師が「いわゆる慢性疾患を外傷と偽って施術して療養費を不正に請求したのが発覚、受領委任の取り消し処分を受けた」ケースについての行政(筆者は大阪府在住なので近畿厚生局)の発表をみてみよう。
同様の事例を参考にすれば前記のようなケースはだいたい以下のように発表されている。
「療養費の支給対象以外の症状に対して行った施術を支給対象となる負傷として療養費を不正に請求していた」症状と負傷という文言が区別して使われているところに注目したい。
おそらくこれからも同様のケースには慢性疾患の文言が使われることはなく「症状」という文言が使われるはずである。
つまり柔道整復師に許された判断は「療養費の支給対象である負傷であるか否か」に限定されており、それがいかなる傷病名であるかについて(肩こりとか腰痛とかのみならず変形性関節症とか腱鞘炎にしても同じ)判断することは柔道整復師には許されていないということである。
柔道整復師の施術の対象とされる「骨折・脱臼・打撲・捻挫・肉離れ」とは、本来傷病名を使うことも許されない柔道整復師が療養費の支給申請の際にあくまでも便宜上使用することのできる傷病名に過ぎない。
それ以外の傷病(名)に対して柔道整復師が施術できるか?と厚生労働省に見解を問えばNOの答えが返ってくるのはむしろ当然のことである。
そうであるならば柔道整復師がカルテやレセプトに記入している「骨折・脱臼・打撲・捻挫・肉離れ(挫傷)」という傷病名の意味するところは何か。
まず、大前提として柔道整復師は法的に診断ができないから患者に傷病名をつけることができない。
しかしながら健康保険というものの性格上、傷病名のないレセプトはあり得ない。
二律背反する両者の折衷案として「骨折・脱臼・打撲・捻挫・肉離れ」という傷病名が使われているものと筆者は推察する。
柔道整復師の療養費の支給基準では「療養費の支給対象となるのは、急性、外傷性の骨折・脱臼・打撲・捻挫・肉離れ」となっている。
それでは「急性、外傷性」であると決めるのは誰?
そう、個々の患者の申告によらないと急性のケガであるかどうか、外傷性のケガであるかどうかを柔道整復師は判断することはできない。
傷病名の決定には視診、触診といった柔道整復師の見立てよりも「さっき転んで足をくじいた」という患者の申告が優先するのである。
であればこそ「負傷の原因を正しく伝えましょう(協会けんぽ)」ということを保険者は繰り返し被保険者にアナウンスするのである。
もっとぶっちゃけた言い方をすれば「患者が捻挫したというから捻挫」ということになる。
そう考えてみれば療養費の支給対象になる傷病「骨折、脱臼、打撲、捻挫」はすべて「した」とか「する」をつけると動詞になってしまう。(筆者は「傷病名サ行変格活用動詞説」と言っている。)
繰り返しになるが柔道整復師には診断権がないから傷病名をつけることはできない。
使用できる傷病名の「骨折・脱臼・打撲・捻挫・肉離れ」は療養費支給のための便宜上のものにすぎない。
だから柔道整復師が「変形性関節症」や「腱鞘炎」や「テニス肘」に対して施術を行うことは未来永劫不可能である。
ただし「長いこと続いている高齢者の膝の痛み」や「いつの間にか始まった手指の引っ掛かり感」、「だんだんひどくなるタオルを絞った際の肘の痛み」に施術を行うことは法的には何の問題もない。
柔道整復師はそれらが捻挫であるかないかを判断する立場にはないから。
そして、それらの症状は急性でも外傷性でもないはずだから療養費の支給対象にはならない、それだけのことである。
さて、長々と筆者が理屈をこねてきたのはなぜかについて最後に言及しておきたい。
筆者は現在療養費の受領委任(健康保険の取り扱い)を行っていない。
外傷についてもこの10年間、ほとんど診ていない。
筆者の志向するところが代替医療から補完医療へと転換していったからであるが、これについては長くなるので別の機会に譲る。
ただし「骨折、脱臼が治せてこそ柔道整復師」「柔道整復師は外傷のエキスパート」という考え方にも筆者は全面的に賛同する。
柔道整復師のあるべき姿というものは個々の柔道整復師が考えるものであって誰かが決めることではないからである。
ただ、「柔道整復師の施術対象は骨折・脱臼・打撲・捻挫・肉離れ」に限定されるという風潮は柔道整復師の業務をわざわざ狭める危険性があると考えている。
たとえば先日、とある都道府県の柔道整復師団体が「療養費適正化理念」なるものを発表した。
療養費の不正請求に対して業界の自浄作用を示す意図があったものと思料される。
ただ、その中に「負傷の兆候の認められない患者の医科受診指導を促進する」という項目がある。
つまり外傷でない症状には柔道整復師は施術を行わずに医科を受診させましょう、ということのようである。
でも、これは明らかに先にあげた「民主党統合医療を普及、促進する議員連盟 柔道整復小委員会」での厚生労働省の見解(腰痛や肩こりは柔道整復師の施術範囲にない)を誤って解釈した結果である。
慢性の症状を訴える患者が来院した際には「その症状には健康保険が使えない」ことを説明して保険外での施術を受けるか医科を受診するかを決めてもらえばいい。
柔道整復業界でも盛んに喧伝されるようになったインフォームド・コンセントというのはまさにこのことであろう。
療養費(健康保険)以外に関心ない?それはそれで構わないのであるがこのまま「柔道整復師の施術の対象は急性、外傷性の骨折・脱臼・打撲・捻挫・肉離れに限られる」という考えが定着すればどうなるか。
筆者には2つのパターンしか考えられない。
1.柔道整復師がこれらの傷病について「診断権」を持つようになる。
2.これらの傷病であると医師が診断しなければ柔道整復師は施術を行うことはできなくなる。
1.が到底実現不可能なのは誰だって理解できる。
そうして2.の事態になれば柔道整復師の独立開業権は事実上崩壊する。
「柔道整復師の業務範囲は骨折・脱臼・打撲・捻挫・肉離れ」という誤謬の訂正に筆者が躍起となるゆえんである。
関係法規Masters担当 金谷康弘
柔道整復師、かなや整骨院院長
専科教員として専門学校で関係法規、柔道整復理論を担当。
柔道整復師とはどんな職業なのかをあれこれ考えていたら、業界に馴染めないまま28年経ってしまう。
医師の代替ではなく現代医療を補完する柔道整復術を目指し、「外傷を診ない」「療養費を取り扱わない」整骨院を開設。
柔道整復師が自分の職業を自分の子供に説明できるように願いつつ、柔道整復師法についてのあれこれを発信中。
クラニオセイクラルな日々-あたまをさわれば幸せになる
現在、一般社団法人日本頭蓋仙骨療法協会代表理事。